鶴岡八幡宮は、1180年の創建以来、
今日に至る900年近い歳月を、
この地域とともに歩んできました。
流鏑馬(やぶさめ)でも有名ですね。
他にもご覧いただきたいスポットを、
たっぷりご紹介します。
鶴岡八幡宮とは?
今は無き大銀杏、朱塗りの社殿と並ぶように、
そびえ立っていたその勇姿を、
今はもう見ることはできません。
平成22年3月10日未明、
長い歴史を見つめてきた大銀杏は、
雪混じりの強風によって倒れました。
高さはおおよそ30メートル、
幹の太さは約7メートルありました。
樹齢1000年と言われていました。
かの樹は、鎌倉の時代を
どのように見つめてきたのでしょう?
境内に御神木あととして残っています。
是非ご覧いただきたいと思います。
【歴史背景】
1063年
奥州を平定した源頼義が鎌倉に戻り、
源氏の氏神として出陣に際して、ご加護を祈願した、
京都にある石清水八幡宮。
これを由比ヶ浜辺にお祀りしたのが、
鶴岡八幡宮の始まりです。
そのあと、
源氏再興のための旗上げをした源頼朝公は、
1180年、鎌倉に入ると直ちに御神意を伺って
由比ヶ浜辺の八幡宮を、現在の地にお遷しします。
建久2年(1191)には鎌倉幕府の宗社に
上下両宮を現在の姿に整え、
鎌倉の町づくりの中心としたのです。
また頼朝公は、
流鏑馬、相撲や舞楽など、
今日にも引き継がれる神事や行事を興し、
関東の土地神様としてここに
厚い崇敬の誠を寄せたのです。
以降、武家社会の精神のよりどころとなり、
国家鎮護の神としての信仰は、
全国に広まりました。
気風はその後武士道精神性の原点となりました。
(国家鎮護とは、仏教により
国家の災いを鎮め安泰にすることです)
頼朝公は、建久3年(1192)に、
征夷大将軍に任ぜられました。
平家を倒したのち、
鎌倉殿とよばれ武家政権の基盤を築いてきたのです。
鶴岡八幡宮をここから見てほしい!
それでは、主な施設を南側からご紹介します。
「段葛」
頼朝公の御台所である、
政子の安産を祈願して造られた参道で、
若宮大路の中心部となります。
春には桜、ツツジが花のトンネルを作ります。
北条政子と流人であった
頼朝の大恋愛のお話しも素敵です。
「源平池」
政子が頼朝公の必勝を祈願して
造らせたといわれています。
産・サン(繁栄)の願いを込めた
三つの島が浮かぶ源氏池と、
死・シ(衰退)を象徴する四つの島の平家池は、
源平時代の戦いを彷彿させるかのように、
今もまだ向き合っています。
「流鏑馬馬場」
毎年9月16日に、あの流鏑馬神事が行われます。
「手水舎」
参拝前に身を清めるところです。
手や口をすすぎます。
「若宮」
本宮の御祭神応神天皇の御子、
仁徳天皇ほか三柱の神様がまつられています。
「舞殿」
静御前が義経を慕い、思いを込めて
舞った若宮廻廊跡に建ちます。
下拝殿とも言います。
唐破風の入母屋造りの建物です。
当時有名な美しい白拍子であった
静御前と義経の悲恋物語も、
機会があったら是非お読みください。
「大石段」
大石段を登ると本宮(上宮)です。
ここからは鎌倉の街を一望できます。
空気の澄んだ晴れた日には、
水平線や伊豆大島をも見渡す事が出来ます。
「本宮」
應神天皇・比賣神・神功皇后をお祀りする
当宮の中心となるご社殿です。
若宮(下宮)とともに国の重要文化財です。
年間を通じて様々な祭事が催されています。
「鶴岡文庫」
当宮所蔵の古文書のほか、
鶴岡八幡宮や神社神道についてだけじゃなく、
鎌倉の歴史や文化などの資料収集も行っています。
鶴岡八幡宮は、
まさに鎌倉時代を築いた源頼朝公の宮
だったのですね。
その政治手腕をじっくりひもといてみたり、
また北条政子や静御前といった、
歴史の中心物を陰で支えた女性達の立場から
見てみるのも、感慨深いでしょう。
私は、見守り続けた
「大銀杏」の精霊になったつもりで、
この地のうつろいを眺めてみようと思います。
手水のお作法です
所作を知っていると、ちょっと格好いいですよ。
1.右手で柄杓(ひしゃく)を取る。
(左利きでも同様。)
2.水を汲み左手にかけて洗う
(柄杓に汲んだ一杯の水ですべてを行います)。
3.柄杓を左手に持ちかえ、右手を洗う。
4.再び柄杓を右手に持ちかえて、
左の手のひらに水を受けて溜める。
5.左手のひらの水で口をすすぐ
(柄杓に直接口をつけない。飲み込まない。)
6.左手をもう一度軽く洗い、
そのまま右手の柄杓を立てて柄を流し
清めて元の位置に戻す。
白拍子
静御前の別れの舞の歌です。
吉野山 峰の白雪踏みわけて
入りにし人の あとぞ恋しき
静や静 しずのおだまきくり返し
昔を今に なすよしもがな
訳:静やしずとおだまきのように
何度も読んで頂いていたあの頃に、
おだまきがくるりと廻るように
戻すすべはもうないのでしょうか?
白雪の積もる吉野の山を越えて
山路を行ったあの人の跡を追い、
もう一度お逢いしたく存じます。
(苧環-おだまき
…機織りの際に糸を巻いたもののこと)
コメント