こんなに深い!?祇園祭の山鉾タペストリーの歴史を知ろう!

祇園祭

祇園祭の楽しみの一つと言えば?

 

 

それはやっぱり、山鉾を華やかに彩るタペストリー!

 

祇園祭の山鉾は、32基もあるんですが、

その全てにタペストリーが飾られています。

 

 

豪華絢爛なタペストリーは、まるで歩く美術館とも言われているほど。

 

 

今回は、そんな祇園祭のタペストリーに、

スポットを当ててみました!

 

 

 

祇園祭のタペストリーの歴史って?

 

 

タペストリーと言えば、修学旅行の定番のお土産というイメージ。

 

 

ですが祇園祭のタペストリーは、

そんなスケールの話ではありません。

 

 

「なぜ?祇園祭に西洋の綴織壁掛(タペストリー)が」

というパンフレットがあります。

 

そのパンフレットの裏には、タペストリーが裁断され

「鯉山の周囲を飾られた」という記載があります。

 

 

どうして、海外の素晴らしいタペストリーが

日本の祇園祭で、現在でも使われていて、

見ることが出来るのか?

 

という千年の謎にせまる番組が、

2014年に、NHKスペシャルで放送されていました。

 

 

祇園祭の始まりは、平安時代。

もともとは、疫病退散のために始まったお祭りなのです。

 

それから数百年後の江戸時代でも、

祇園祭は開催されていました。

 

 

江戸時代には、武士よりも商人の方がお金持ち。

徳川家よりも京都の豪商の方が、裕福でした。

 

その徳川家に対して、京都の豪商は、

200億円近くのお金を貸し付けていたようです。

 

 

そして祇園祭のタペストリーは、

「徳川家からの献上品だったのではないか?」

と言われています。

 

 

江戸時代、鎖国をしていた日本は、

唯一オランダとは交易がありました。

 

その交易先であるベルギーのブリュッセルから、

徳川家に対して贈られてきたのが、ペルシャなどで織られていた、

最高級品質のタペストリー。

 

 

特に鯉山のイーリアスの一つの場面で描かれている、

トロイ王の姿は、絵柄の違う4枚と一緒に、

合計5枚が日本にあるという、超貴重品!

 

 

長刀鉾に飾られているタペストリー、茶色の梅樹。

 

タペストリーで表現されている、

ゴワゴワの動物の毛は何なのか?

 

DNA鑑定の結果、チベットカモシカという事も判明しました。

 

 

なぜそれが日本の祇園祭りに使われているのか?

 

確実な記録は無いようですが、

日本の祭りで世界の歴史の一部が生きているとは、

「祇園祭」は奥が深いですよね~!

 

 

32基の山鉾紹介

 


祇園祭の山鉾

 

❖長刀鉾

 

この山鉾だけは、くじ取らずと言われていて、

毎年必ず、先頭巡行と決まっています。

 

32基の中でも唯一、生稚児が乗る鉾としても有名です。

 

 

大永二年(1522年)。

 

神のお告げにより、長刀鉾町でこの長刀を飾ったところ、

疫病が無事に治まったいう事です。

 

 

❖霰天神山

 

永正年間(1504~1520)に、京都が大火災にあった時、

急に霰が降ってきて、全ての火事が消え去りました。

 

そしてその後、小さな天神像が降ってきて、

その天神蔵を祀ったのが、霰天神山の起こりと言われています。

 

 

❖郭巨山

 

中国の史話の一つ、

「二十四孝」の一人である郭巨からきています。

 

この山だけが、屋根におおいがかけられているのが特徴。

 

 

❖山伏山

 

御神体の山伏は、浄蔵貴所という人物。

八坂の塔が傾いた時、浄蔵貴所が法力によって直したと言われています。

 

 

❖函谷鉾

 

前懸のタペストリーは、16世紀のベルギー製。

国の重要文化財に指定されているほどの貴重品。

 

旧約聖書の、創世記の場面が描かれています。

 

 

❖占出山

 

日本書紀に登場する、安産の神である神功皇后から由来。

 

くじの順番で、占出山が早く巡行する年は、

お産が軽いらしいです。

 

 

❖四条傘鉾

 

なぜか、明治5年から1987年までの117年間、

姿を消していた鉾。

 

今は巡行しています。

 

 

❖孟宗山

 

こちらも、「二十四孝」の一人である孟宗から。

 

孟宗は、病床の母親が欲しがったタケノコを、

真冬に掘って探したらしいです。

 

 

❖月鉾

 

月読尊という、夜と水徳の神が由来となっています。

 

 

❖油天神山

 

油小路通に祀られている天神から由来しています。

 

 

❖太子山

 

この山だけがなぜか、真木に杉の木を立てています。

他の山は全て、松が立てられています。

 

 

❖保昌山

 

保昌が、紅梅をもってくる姿が表現されています。

前懸と胴懸は、円山応挙の下絵の作品。

 


祇園祭の人形

 

❖鶏鉾

 

江戸時代の初期に輸入された、

16世紀頃にベルギーで制作された作品で、

国の重要文化財にも指定されています。

 

決闘に向かうトロイア王子が、

妻子に別れを告げている絵が表現されています。

 

 

❖白楽天山

 

前懸は、16世紀のゴブラン織りで、

胴掛は約400年前のゴブラン織。

 

トロイア戦争が描かれています。

 

 

❖綾傘鉾

 

金の卵を片足に持った、傘の上の鶏が御神体。

ちょっと不思議な感じです。

 

 

❖木賊山

 

腰に蓑を巻いて、右手にカマ、左手には木賊を持っている、

扇人形が御神体。

 

 

❖菊水鉾

 

菊水井という、町内に古くからある井戸から名付けられています。

 

 

❖芦刈山

 

芦刈という謡曲から来ています。

 

 

❖伯牙山

 

昔は琴破山と呼ばれていましたが、

明治4年に解明されました。

 

 

❖蟷螂山

 

屋根には、カマキリが乗っていて、

手と羽が動きます。

 

そして前掛は、山鉾では初の友禅染が使われています。

 

 

❖放下鉾

 

真木の「天王座」に放下僧の像を祀る事から、

名前が来ています。

 

 

❖岩戸山

 

室町時代に、狩野永徳によって描かれている洛中洛外図屏風には、

車輪まで描かれています。

 

 

❖船鉾

 

日本書紀の神功皇后の新羅出船が

由来になっています。

 

 

❖北観音山

 

こちらも、くじ取らず。

24番目と決まっています。

 

その理由は、昔は先祭と後祭に別れていた時に、

後祭の先頭だったから。

 

 

上り観音山という別名もあります。

 

 

❖橋弁慶山

 

こちらも、またまたくじ取らず。

明治5年以降は、北観音山の次に巡行が決まっています。

 

 

❖鈴鹿山

 

胴懸は、昔の中国、清朝の作品。

 

鈴鹿権現の瀬織津姫命という説話から、

名前が来ています。

 

 

❖鯉山

 

こちらも国の重要文化財。

 

前掛、胴掛、水引、見送、すべてが

一枚のタペストリーを裁断されて作られています。

 

そしてこのタペストリーは、16世紀のベルギー製。

 

 

❖八幡山

 

石清水八幡宮を祀った山。

 

当時は、八幡さんへの信仰も盛んで、

そこから祇園祭にも合わせて登場したと言われています。

 

 

❖黒主山

 

前懸は、中国の雲龍文綴錦。

 

 

❖浄妙山

 

胴掛のビロード織から、

ビロード山という別名でも呼ばれています。

 

 

❖役行者山

 

中国の美人図綴錦と、龍図絽刺が見送。

黄道二十八宿の星座の図が、掛金具に表現されています。

 

 

❖南観音山

 

後祭の一番後ろをつとめている曳山。

下り観音山という別名もあります。

コメント

タイトルとURLをコピーしました