聖徳太子の伝説はデマカセだった!?いつから説が変わってしまった?

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聖德太子と言えば、親世代にとっては、

歴史が好きでなくても今でも覚えている、

歴史上の超有名な人物ですが…

今の子供世代の教科書には

  • 厩戸王 うまやとおう(聖德太子)
  • 聖德太子(厩戸王 うまやとおう)

と書かれ、あの有名な偉業にも疑問があるようです。

「聖徳太子は誰だったのか?」

「本当に実在したのか…」

なんだか混乱しそうですが、

いつのまにか知ってるつもりの歴史は

変わっていってるんですね。

実は聖徳太子は実在しない!?新たに発覚している説

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聖德太子というのは本名ではなく

功績を称えるために後々贈られた名前。

本名は「厩戸王」といいます。

19歳で推古天皇の摂政となって

歴史に残る偉業を数々残しています。

摂政であったか?

偉業は残したか?

などは見解によって、まだ分かれるようですが、

実在の人物でかなり優秀な人だったことは事実です。

でも、誰もが知るような名を残したかは

厩戸王が亡くなってからの政治によります。

没後50年で皇位継承争いの壬申の乱が起き、

天皇の権威が失墜したときに、

豪族に対して、

天皇家の血筋が優秀であることを示し、

統治者であることを再認識させるために、

厩戸王が関与した施策を大きく評価して、

聖德太子を作り上げたとされています。

藤原不比等が編集に関わっていた日本書紀の話が、

どのくらい事実で、

どのくらいが誰かに都合よく書かれたのか?

これは、これからまた解明されていきます。

その時、完全に聖徳太子の名前は教科書からは

消えてしまうのかもしれません。

厩戸王一人が優秀で、

何もかも一人の手柄だという歴史が見直され、

全くの嘘ではないけれど真実が少しづつ

解明されているところのようですね。

改めて知るとやっぱり凄すぎる!聖徳太子の人柄やスキル

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聖徳太子の名前を、

歴史で習わなくなったとしても

厩戸王の偉業は残ります。

ただこれまでのように、

一人だけが全てをしたとはならず、

わかってくる範囲で、

誰とどのような経緯でとなってきています。

その時代に政治の中心にいて

相当聡明であったようなのですが、

いろいろな歴史上の偉業を一人で行ったように

教科書に書くほどの証拠がない、

ということが分かったという事になります。

冠位十二階の制定は一人ではなく

多くの人が関わっていたこと。

憲法十七条の制定は着手したかもしれないが、

完成したのはもう少し後。

遣隋使の派遣で小野妹子を送ったが、

それ以前も遣いは派遣されていた…

・国史の編纂や仏教興隆での法隆寺の建立のついても、

現在あるものは焼失してしまったものを

再建したもの。

なので関与したという証拠がなく伝えられていただけ。

これまで親世代の教科書では

常識とされていた事実とされていたことは、

今の子供の時代には常識ではなくなってきています。

そのように歴史は日々更新されています。

功績よりも有名な、

10人が同時に話をしても全部答えられるという話は、

順番に10人が話をしても、

それに対して的確に答えをできたと言われています。

耳が良く、頭の回転も早い、

非常に優秀な人であったこと。

これは、厩戸王の称号に「豊聡耳 とよとみみ」

付けられていることから、間違いはないとされています。

まとめ

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歴史は確実に証拠があるもの以外は、

ほとんどの事柄、

立つ立場・見る方向によって事実も変わります。

科学も進み、今までわからなかったことも

わかるようになってきました。

私も子供が歴史を習いだした時に

「いい国作ろう(1192年)鎌倉幕府」

と信じていたのに、今は、

「いい箱(1185年)」が正解のようです。

聖徳太子という歴史上の人物はいないけれど、

厩戸王は実在していたということ、

今は正解のようです。

その今は事実とされていることも

また近々変わるのかもしれません。

それが歴史の面白いところでもあります。

一度習ったからと終わらないで、

またいろいろ勉強し直してみるのも

楽しいかもしれませんね^^

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